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東京高等裁判所 昭和45年(行ケ)75号 判決

原告

ゼネラル・エレクトリツク・コムパニー

右訴訟代理人

原増司

外五名

被告

石塚博

右訴訟代理人

新長巖

外二名

主文

特許庁が昭和四五年四月二八日同庁昭和四三年審判第三〇〇号事件についてした審決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

〈前略〉

第二 請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

被告は、名称を「ダイヤモンド合成法」とする特許第四九二八六三号発明(以下、この発明を「本件特許発明」、特許を「本件特許」という。)の特許権者である。本件特許発明は、昭和三七年六月三〇日出願に係り、昭和三八年一〇月一四日提出の手続補正書をもつて明細書全文が補正(以下、これを「本件補正」という。)され、昭和三九年五月二日出願公告を経て、昭和四二年四月二二日設定登録を了した。原告は、同年一二月二三日、本件特許について特許無効審問の請求(昭和四三年審判第三〇〇号事件)をしたが、特許庁は、昭和四五年四月二八日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年五月二八日原告に送達された(なお、出訴期間として三か月を附加された。)。

二  本件特許発明の要旨

粒状のニツケル、鉄、コバルトより選択した一種の金属粒の周囲に微粉状の炭化クロム、炭化モリブデン、炭化バナジウム、炭化タングステン、炭化マンガンの一種の層を形成したものと黒鉛との混合物を原料として使用し、約一、二〇〇度Cないし一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇気圧ないし約七五、〇〇〇気圧の温度、圧力範囲で、かつ、ダイヤモンド安定領域にある温度、圧力条件でダイヤモンドを合成する方法。〈以下、事実省略〉

理由

〈前略〉

二そこでまず、原告主張の取消事由のうち、要旨変更の点について判断する。

1  前記争いのない経緯に、〈証拠〉をあわせると、本件特許発明は、昭和三七年六月三〇日の出願に係り、その原明細書の特許請求の範囲には、

(1)  非ダイヤモンド炭素をダイヤモンドの安定帯域内で金属触媒の存在下でダイヤモンドを合成するに当たり、金属触媒の周囲にこの金属より熔融点の低い金属又は炭化物を形成する金属又は炭化物の層を作り、触媒金属がダイヤモンド生成条件下に置かれるまで非ダイヤモンド炭素との接触を防止することを特徴とするダイヤモンド合成法。

(2)  非ダイヤモンド炭素をダイヤモンドの安定帯域内で金属触媒の存在下でダイヤモンドを合成するに当たり、種子としてダイヤモンド粒を使用し、このダイヤモンドの外部に金属触媒の層を作り、さらにその外部をこの金属より熔融点の低い金属又は炭化物を形成する金属又は炭化物の層を作り、非ダイヤモンド炭素中に配置して、ダイヤモンド粒を核として大粒のダイヤモンドを合成することを特徴とする方法。

(3)  特許請求の範囲(1)及び(2)に記載の方法において、非ダイヤモンド炭素としてび粉の触媒金属を混合した非ダイヤモンド炭素を使用することを特徴とする方法。

と記載されていたが、出願公告決定謄本送達前である昭和三八年一〇月一四日提出の手続補正書によつて明細書全文が補正(本件補正)され、その結果、本件特許発明の特許請求の範囲は請求原因二記載のとおりとなつて、特に「約一、二〇〇度Cないし一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇気圧ないし約七五、〇〇〇気圧の温度、圧力範囲」というダイヤモンド合成のための具体的温度、圧力条件が加えられたものであることが認められる。そして、右具体的温度、圧力条件が原明細書の特許請求の範囲はもとより、発明の詳細な説明の項にも示されていないことは、当事者間に争いがない。

2  次に、〈証拠〉によれば、第二引用例の発明及び先願発明は、ともに原告が昭和三四年九月九日わが国において特許出願をしたダイヤモンド合成に関する発明であつて、前者は昭和三七年六月一三日(本件特許出願の約半月前)、後者は同年七月一六日(本件特許出願の約半月後)それぞれ出願公告されたものであることが認められるが、弁論の全趣旨に徴すると、右両発明の技術内容の概略は、右特許出願に先立つて外国文献等によつて公表されていたため、本件特許発明の出願時たる昭和三七年六月当時においては、すでに実質上公知の技術となつていたものと認められる。

そこで、〈証拠〉によつて、本件特許発明の原明細書の内容を右両発明と対照しつつ検討すると、その発明の詳細な説明の項には、まず冒頭に、(1) 「本発明は、従来のダイヤモンド合成法を改良し、すぐれたダイヤモンド結晶を合成する方法に関するものである。」と発明の目的ないし課題が掲げられ、続いて、(2) 「ダイヤモンドは非ダイヤモンド炭素とFe、Ni、Co等の第八族元素を一、五〇〇度C、八〇、〇〇〇気圧の条件下で処理することにより合成されることは公知であり、また、Fe、Ni、Co等の第八族元素金属と他の金属の予め形成された合金を使用することにより、ダイヤセンド合成温度及び圧力が低下することは、最近米国General Electric 社より提案された。」として、前半は先願発明の技術(なお、そこに示された温度、圧力条件の数値は、先願発明の特許請求の範囲におけるそれとは一致していないが、それが先願発明の技術に相当することは、その出願人たる原告の自認するところである。)、後半は第二引用例の発明の技術がそれぞれ従来法として紹介され、次に、(3) 「本発明においては、ダイヤモンド合成に当たり、Ni、Fe、Co等の周期律表第八族の金属等の金属中へ炭素を熔解する金属の周囲を、これらの金属よりも熔融点の低い金属又は炭化物を形成する金属又は炭化物で蔽い、これらの金属と非ダイヤモンド炭素との接触をニツケルの融点又はニツケルと炭素の共融点まで防止することにより……少量の触媒にて低温度、低圧力で、結晶の完全なるダイヤモンドを合成する方法に関するものである。」として、本件特許発明の特徴たる触媒態様とその課題が記載され、さらに、(4) 本件特許発明の方法について説明があつた後、(5) 「触媒金属の単体では七五、〇〇〇気圧以上の圧力を必要とするのである。」として先願発明の技術に触れ、続いて、(6) 「他の提案された方法として予め形成された合金を使用する方法があるが、これは触媒金属より低融点であるため、単体金属を使用するよりも低い温度、圧力でダイヤモンド合成されるといわれている。」として第二引用例の発明の技術が再び言及され、次に、(7) 「本発明においては、非ダイヤモンド炭素よりダイヤモンド安定帯域でダイヤモンドを合成するに当たり、第八族元素の金属の周囲を……することにより、触媒金属の拡散又は炭素の吸収を防止して、従来の方法より低温度、低圧力でダイヤモンドを合成することができる。」として本件特許発明における解決手段及び作用効果が記載され、最後に、(8) 触媒金属の周囲に層を作る方法、触媒金属より融点の低い金属、炭化物を形成する金属及び炭化物の各例示等が記載されているが、(7)以下の項においては、先願発明及び第二引用例の発明については触れられていない。また、(3)及び(7)のように、本件特許発明においては、従来法より低温度、低圧力でダイヤモンドの合成が可能であるとしながら、原明細書を通じて、その低温度、低圧力の数値が具体的にどうであるかについては全く触れられてなく、さらに、その作用効果を確認すべき実施例の記載も存しない。

ところで、〈証拠〉をあわせると、ダイヤモンドの成因についてはなお未解決の部分が多く、ダイヤモンド合成(人工ダイヤモンド)の技術は、一九世紀以来、理論的追究というよりも、数多くの研究者があらゆる仮定ないし提案をもとにして様々な実験を繰返したことによつて発展して来たものであることは、その歴史に徴しても明らかであり、そのような実験優位の事情は、原告が一九五五年に画期的なダイヤモンド合成に成功した後においても同様であるところ、その実験においては、原料、触媒、温度、圧力、装置等の要素が具体的に特定されることが必須の條件であつて、そのいずれを欠いても技術開示としての意味がなく、その実施は不可能であることが肯認できる。そうだとすると、本件において、前認定の程度の原明細書の記載、特に、温度、圧力条件についての特定がないところの技術開示をもつてしては、他に特段の事情が加わらない限り、その特許請求の範囲に記載された発明は、その技術開示として十分でないものとするのが相当である

3  被告は、右の点について、原明細書において本件特許発明が改良の対象としている従来法とは先願発明の方法である旨主張する。

原明細書に従来法として先願発明及び第二引用例の発明が紹介されていることは、前段において判示したとおりであるが、少なくとも、先願発明のみが改良の対象である旨を明示した記載がないため、疑問がないわけではないけれども、前記のとおり、本件特許発明が第八族元素を単体として使用するのに対し、第二引用例の発明は「予め形成された合金」を使用する点で、両発明の触媒が異なること、本件特許発明が低温度、低圧力によるダイヤモンド合成を課題とするところ、原明細書においてその温度、圧力条件の数値を示した従来法は先願発明のもののみとなつていることからすると、原明細書において本件特許発明が改良の対象とした公知技術は、被告主張のとおり、第二引用例の発明ではなく、先願発明の技術を指しているものと解するのが相当である。

したがつて、原明細書にいう低温度、低圧力とは、一応、先願発明の「一、五〇〇度C、八〇、〇〇〇気圧」(前記2、(2)の前半)以下の領域を意味するということはできるが、そうだからといつて、本件補正による「約一、二〇〇ないし一、六〇〇度C、約五七、〇〇〇ないし約七五、〇〇〇気圧」という特定の温度、圧力条件が原明細書に実質上記載されていることにはならない。なぜなら、「一、五〇〇度C、八〇、〇〇〇気圧以下」の温度、圧力条件というだけでは、その下限がどの程度の温度、圧力であるかが特定されないので、原明細書の記載から当然に、本件補正による具体的温度、圧力条件が導かれるものではないからである。

もつとも、被告は、原明細書にいう「低温度、低圧力」とは、少なくとも一、五〇〇度C、七五、〇〇〇気圧以下のダイヤモンド安定領域を指すものであることは明らかである旨主張し、確かに、原明細書の発明の詳細な説明の項及び特許請求の範囲には、本件特許発明によるダイヤモンド合成が「ダイヤモンド安定帯域内で」行なわれる旨の記載があることは、前認定のとおりである。

しかし、〈証拠〉によれば、ダイヤモンド安定領域(帯域)とは、ダイヤモンドが安定に存在しうる温度、圧力条件の領域を指すものであり、理論的にはその領域内において炭素質物質をダイヤモンドに変換しうるものであるけれども、逆に、単に炭素質物質をその領域内の状態に曝しても、これをダイヤモンドに変換するには十分でないものであることが認められるから、原明細書に前記記載があるからといつて、そこから当然に、特定の原料、触媒及びその態様をもつて行なうダイヤモンド合成についてその温度、圧力条件が定まるものと解することはできない。

4  次に、被告は、本件特許発明の出願当時、ダイヤモンド合成に関する圧力、温度、触媒等の各要素、組合わせについての諸条件は、公知の技術知識であつたと主張する。

そして、〈証拠〉によれば、本件特許発明の出願前に頒布された雑誌「ネイチユア」には「金属と炭素の共晶融点線と黒鉛―ダイヤモンド平衡線の交点が、特定の触媒によるダイヤモンド生成が可能な温度、圧力の下限となる。」との実験報告が記載され、また、〈証拠〉によれば、同様の雑誌「ジヤーナル・オブ・ケミカル・フイジツクス」には「ダイヤモンドを合成しうる領域は、バーマン及びシモンによるダイヤモンド―黒鉛平衡線と触媒金属と炭素との圧力に対応する共融温度線とで区切られた区域である。」ことが実験によつて確かめられた旨が記載されていることが認められ、これらによれば、金属と炭素の共晶融点線とダイヤモンド―黒鉛平衡線の交点がダイヤモンド生成可能の温度、圧力の下限となることは、当時においてダイヤモンド合成に関する技術水準に属する知識であつたということができる。

しかし、このような技術知識は、ダイヤモンド合成に関する一般的基本的な知見たるにとどまるものであつて、これを前提にしたとしても、その共晶融点と平衡線の交点が、特定条件(しかも、温度、圧力条件については明確には定められていない。)のダイヤモンド合成の温度、圧力条件の下限を示すものということはできない。

そして、他に、被告主張のような、ダイヤモンド合成に関する諸条件が特定することを要しないほどの自明の事項であつたことを認めるに足りる証拠はない。

また、被告は、本件補正による特定の温度、圧力条件の数値が決定された根拠について種々主張しているが、仮りにそれが推論上合理性を有するものを含むとしても、そのことと、右特定条件が原明細書に開示されていたかどうかとは別個の問題であるから、それをもつて本件補正が要旨変更にならないとはしえないものである。

5 以上検討したところを総合すると、原明細書については、本件特許発明出願当時における技術知識及び原明細書に従来法として掲げられた公知技術に関する記載を斟酌しても、結局、これに本件補正による特定の温度、圧力条件が実質的に記載されているとはいうことができず、また、そのような温度、圧力条件は、当該発明におけるダイヤモンド合成反応の実在を裏付け、その作用効果を確認するという点において、欠くことのできない構成要件であるというべきであつて、これは、本件特許発明が従来法の改良発明であることによつて左右されるものではない。

したがつて、温度、圧力条件について特定するところのない本件特許発明の原明細書には、ダイヤモンド合成に関するこの点の技術思想が実質上開示されているとはいえないものであるから、これを追加補充した本件補正は、明細書の要旨を変更するものに該当するといわざるをえない。

三本件補正が要旨を変更するものと認められる以上、特許法第四〇条の規定によつて、本件特許発明の出願は、本件補正の手続補正書が提出された昭和三八年一〇月一四日にしたものとみなされる。そして、第一引用例が同日前に日本国内において頒布された刊行物であることは、〈証拠〉により明らかであるところ、本件特許発明が第一引用例に示された技術内容と同一であることは、被告の争わないところであるから、本件特許は、特許法第一二三条第一項第一号、第二九条第一項第三号の規定によりこれを無効とすべきものである。

したがつて、原告の特許無効審判の請求を排斥した審決は、その余の争点について判断するまでもなく違法であつて、取消を免れない。〈以下、省略〉

(荒木秀一 石井敬二郎 橋本攻)

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